2008年07月22日(火)
たった1%だけの「幸せ」
ドウモ( ・∀・)っ旦
氏が変更になったおかげで、手続きをしなければならない事が多々。
その中でも、身分証明書となる運転免許証の氏名変更を行わなければならないとずっと考えていた中、あまり体調も精神状態もよく無い中、リュックに1リットルの水筒を2つ放り込んで、自転車で徳島北署まで自転車で行ってきました。
道路に設置されている温度計が30度を示す中、強い向かい風に苦しみつつも、何とか運転免許を書き換え、その足でそのまま携帯ショップと銀行、郵便局を、それぞれ名義を変更するためにはしごをして、完了。
実質3時間サイクリングすることになったけれど、その間、自分の体力がさほど落ちていないことが解ったりして、なかなかいい経験ができたと思う。
そして、一番大切なのが、そうした行程を完了させたことに対する達成感!
こんな些細な事であっても、幸せを感じることができる。日常生活ではずっと落ち込んでいるままだけれど、それでも、こうしたちょっとした幸せを感じて嬉しくなることで、やはり生きていて良かったって思うね。
実生活の99%を占める『生きることがつらい』という感覚
さて、うつ病生活を送るようになってから、とっくに3年以上経過しているわけだけれど、その実生活のほぼすべてが、結果的に『生きることがつらい』という思いに繋がっていってしまうものばかり。
何もしなくても、何もできなくても、ともかく、だるくて、気が重くて、しんどくて、つらい…という思いが頭の中を支配していたりする。
それを払拭するために、見もしないのに一日中テレビをつけっぱなしにしたり、寝るときでも照明をつけたままにしたりして、そうした考えが頭の中からなるべく離れるようにしているってわけ。
それでも、やはり、そうした、つらいという感覚は完全に拭い去ることができなくて、毎日自殺衝動を抑制している。
でも、それでも今までずっと自殺しなかった理由ってのは、残り1%の、幸せと感じる瞬間を味わうことができるから。そのたった1%が、今の私を現世につなぎ止めているといっても過言ではないと思う。
今の私をつなぎ止めているもの…
今まで実際に自殺をしていないその理由にはいろいろあって…
実際に人の死というのを今まで何度も見る機会があったんだけれど、そのためか、人の死というのが何なのか、自分自身の心の中でおそらく理解しているんだと思う。
もし、自らの意志で心臓を止めることができるのであれば、そうするのが自殺する人の義務ではないだろうか。でも、意志の力で心臓を止めることができないのは、心のどこかで、まだ生きたいと思っているからではないだろうか…。私はそう思っている。
だから、私自身の意志だけで心臓を止めることができない限り、自殺することはできないし、そもそもそんなことは無理な話だから、自殺しないってわけ。
首をつったり飛び降りたりして、外的要因を加えることで死ぬってのは、自殺の方法としては反則なんじゃないかと思う。
もっとも、自殺に反則云々もないんだけど。
それと。
実生活において、幸せと感じることができる瞬間ってのが、私には必ずある。
それは、他人にとっては、そんなものが幸せなのかと思えるようなものばかり。でも、私にとっては、それが幸せなんだと思う。
今日感じた幸せは…
その私が、どんなことに対して幸せと感じたのか…今日一日を振り返ってみると、
本当にどうでもいいような些細な事ばかりだけれど、幸せだと感じられる瞬間ってのは、ものすごく身近なものばかり。
以前は、ものすごく遠い目標や、文字通り暗中模索ばかりで、とても幸せだと感じるようなことというのは無かった。すべてをがむしゃらにしてきた、ただそれだけで、幸せとも不幸だとも思わず、毎日をただ過ごしているだけ、という感じだった。
そのためか、「毎日同じ事の繰り返し、そんなものに一体どんな意味があるんだろう」という語句を含めた詩を書いたこともあった。
でも、今、このような闘病生活を送るようになってみると、幸せは、実はものすごく簡単なことだったってのが解るようになってきたと思う。
以前、筆記具でお世話になっている社長に、書くという幸せ、というものについて教えてもらったけれど、今になって、何となくそのことも解ってきたかなと思う。
それに、一応詩人もどきをやっているんだから、いろんな詩を読んだり触れたり、そして自らも書いていったりしなきゃ。…そうなんだよなあ、一応詩を書く人なんだよなあ、私。
ま、ともかく…
私にとっての幸せとは
私にとっての幸せってのは、普段は冷静かつ客観的に物事を見ようとしている私が、ふと笑顔になれる瞬間。これが、一番、幸せだと感じることができるものだね。
大きな幸せをずっと追い続けるより、身近にある、ほんの小さな幸せを見つけるほうが、実は意外に難しいことなんじゃないだろうかと思う。
でも、そうした小さな幸せを見つけることができたとき、私は、ほんの一瞬だけれど笑顔になることができている。
実生活において、たった1%だけど、感じることができる幸せ。こうしたことをこれからも経験できるからこそ、私はまだ死ねないんだろうなあ。
αβοοη..._φ(゚∀゚ )アヒャ
このブログの、『日記』に関する最新記事だよ♪












氏が変更になったおかげで、手続きをしなければならない事が多々。
その中でも、身分証明書となる運転免許証の氏名変更を行わなければならないとずっと考えていた中、あまり体調も精神状態もよく無い中、リュックに1リットルの水筒を2つ放り込んで、自転車で徳島北署まで自転車で行ってきました。
道路に設置されている温度計が30度を示す中、強い向かい風に苦しみつつも、何とか運転免許を書き換え、その足でそのまま携帯ショップと銀行、郵便局を、それぞれ名義を変更するためにはしごをして、完了。
実質3時間サイクリングすることになったけれど、その間、自分の体力がさほど落ちていないことが解ったりして、なかなかいい経験ができたと思う。
そして、一番大切なのが、そうした行程を完了させたことに対する達成感!
こんな些細な事であっても、幸せを感じることができる。日常生活ではずっと落ち込んでいるままだけれど、それでも、こうしたちょっとした幸せを感じて嬉しくなることで、やはり生きていて良かったって思うね。
実生活の99%を占める『生きることがつらい』という感覚
さて、うつ病生活を送るようになってから、とっくに3年以上経過しているわけだけれど、その実生活のほぼすべてが、結果的に『生きることがつらい』という思いに繋がっていってしまうものばかり。
何もしなくても、何もできなくても、ともかく、だるくて、気が重くて、しんどくて、つらい…という思いが頭の中を支配していたりする。
それを払拭するために、見もしないのに一日中テレビをつけっぱなしにしたり、寝るときでも照明をつけたままにしたりして、そうした考えが頭の中からなるべく離れるようにしているってわけ。
それでも、やはり、そうした、つらいという感覚は完全に拭い去ることができなくて、毎日自殺衝動を抑制している。
でも、それでも今までずっと自殺しなかった理由ってのは、残り1%の、幸せと感じる瞬間を味わうことができるから。そのたった1%が、今の私を現世につなぎ止めているといっても過言ではないと思う。
今の私をつなぎ止めているもの…
今まで実際に自殺をしていないその理由にはいろいろあって…
実際に人の死というのを今まで何度も見る機会があったんだけれど、そのためか、人の死というのが何なのか、自分自身の心の中でおそらく理解しているんだと思う。
もし、自らの意志で心臓を止めることができるのであれば、そうするのが自殺する人の義務ではないだろうか。でも、意志の力で心臓を止めることができないのは、心のどこかで、まだ生きたいと思っているからではないだろうか…。私はそう思っている。
だから、私自身の意志だけで心臓を止めることができない限り、自殺することはできないし、そもそもそんなことは無理な話だから、自殺しないってわけ。
首をつったり飛び降りたりして、外的要因を加えることで死ぬってのは、自殺の方法としては反則なんじゃないかと思う。
もっとも、自殺に反則云々もないんだけど。
それと。
実生活において、幸せと感じることができる瞬間ってのが、私には必ずある。
それは、他人にとっては、そんなものが幸せなのかと思えるようなものばかり。でも、私にとっては、それが幸せなんだと思う。
今日感じた幸せは…
その私が、どんなことに対して幸せと感じたのか…今日一日を振り返ってみると、
- 運転免許証のなどの更新手続きを無事完了した
- 3時間もの間サイクリングを行って、いい汗をかくことができた
- スーパーでカートに乗ってた赤ちゃんを見た
- 万年筆を持つことができた(書いてない)
本当にどうでもいいような些細な事ばかりだけれど、幸せだと感じられる瞬間ってのは、ものすごく身近なものばかり。
以前は、ものすごく遠い目標や、文字通り暗中模索ばかりで、とても幸せだと感じるようなことというのは無かった。すべてをがむしゃらにしてきた、ただそれだけで、幸せとも不幸だとも思わず、毎日をただ過ごしているだけ、という感じだった。
そのためか、「毎日同じ事の繰り返し、そんなものに一体どんな意味があるんだろう」という語句を含めた詩を書いたこともあった。
でも、今、このような闘病生活を送るようになってみると、幸せは、実はものすごく簡単なことだったってのが解るようになってきたと思う。
以前、筆記具でお世話になっている社長に、書くという幸せ、というものについて教えてもらったけれど、今になって、何となくそのことも解ってきたかなと思う。
それに、一応詩人もどきをやっているんだから、いろんな詩を読んだり触れたり、そして自らも書いていったりしなきゃ。…そうなんだよなあ、一応詩を書く人なんだよなあ、私。
ま、ともかく…
私にとっての幸せとは
私にとっての幸せってのは、普段は冷静かつ客観的に物事を見ようとしている私が、ふと笑顔になれる瞬間。これが、一番、幸せだと感じることができるものだね。
大きな幸せをずっと追い続けるより、身近にある、ほんの小さな幸せを見つけるほうが、実は意外に難しいことなんじゃないだろうかと思う。
でも、そうした小さな幸せを見つけることができたとき、私は、ほんの一瞬だけれど笑顔になることができている。
実生活において、たった1%だけど、感じることができる幸せ。こうしたことをこれからも経験できるからこそ、私はまだ死ねないんだろうなあ。
αβοοη..._φ(゚∀゚ )アヒャ
このブログの、『日記』に関する最新記事だよ♪
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